籐堂高虎ゆかりの伊賀上野城 その2
2012年5月16日
先日、シャクナゲの豊寿庵を訪れたあと伊賀上野城に立ち寄ってきました。
伊賀上野城(別名、白鳳城)は、籐堂高虎が、伊賀、伊勢(津城)の城主であ
ったことと高さ30mの石垣に興味があったので訪れました。
現在の天主は、昭和10年(1935)に地元の一個人が、私財を投じて純木造の
復興天主を再建したものです。
城跡は、昭和42年(1967)に国史跡に天主は、昭和60年(1985)に伊賀市
の文化財に指定されています。
地元の川崎克(1880~1945)が、私財を投じて昭和10年10月に天主閣を復興し「伊賀文化産業城」と名付けられました。
伊賀上野城復興天主閣
門を入ると籐堂高虎像がお出迎えです。天主閣1階から3階まで貴重な城関係や歴史資料が展示されていました。
唐冠形兜(とうかんなりかぶと)は、豊臣秀吉より籐堂高虎が拝領、大阪夏の陣に着用したと伝えられています。
藩主籐堂家の家紋入り大名膳が展示されています。
天主閣復興を祝う横山大観、川合玉堂など有名人の大色紙(1m角の大きさ)46枚が、格天井を飾っています。
つづく
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伊賀上野城(別名、白鳳城)は、籐堂高虎が、伊賀、伊勢(津城)の城主であ
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現在の天主は、昭和10年(1935)に地元の一個人が、私財を投じて純木造の
復興天主を再建したものです。
城跡は、昭和42年(1967)に国史跡に天主は、昭和60年(1985)に伊賀市
の文化財に指定されています。
地元の川崎克(1880~1945)が、私財を投じて昭和10年10月に天主閣を復興し「伊賀文化産業城」と名付けられました。
伊賀上野城復興天主閣
門を入ると籐堂高虎像がお出迎えです。天主閣1階から3階まで貴重な城関係や歴史資料が展示されていました。
唐冠形兜(とうかんなりかぶと)は、豊臣秀吉より籐堂高虎が拝領、大阪夏の陣に着用したと伝えられています。
藩主籐堂家の家紋入り大名膳が展示されています。
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by yahamatamotu2525
| 2012-05-16 11:13
| 城