熊野古道 やのはま道 特集 その4
2010 7月18日
少し進むと左に「灰がま」がありました。
この「灰がま」は、作られてから100年以上たっているそうです。
農家では、この「灰がま」でごみや草などを燃やし、できた灰は、畑の肥料などに利用していたようです。
灰がまを興味深く見学する子供たち。
最近までこんな「灰がま」もありましたが、今は取り壊されてもう無くなりました。
道沿いの花や農作物を見ながら進みます。
この石垣は、屋敷を取り巻いた境界に作られ、矢浜ではよく見られます。
この石垣は、全国版の「旅写真集」に取り上げられました。
石垣を触りながら熱心に説明を聞き入る子ら。
古道をさらに直進して右折します。
熊野古道は、ここまでです。前面は矢浜公園です。矢浜入口の道標からここまで、万歩計は、671歩、402mでした。
古道は、これからやや真っ直ぐ八鬼山の方に向かってありましたが、昭和38年に工場立地で無くなりました。
真正面の山が八鬼山です。石碑は、熊野古道が世界遺産に登録された記念に、平成16年7月、矢浜公民館、成人学級の有志で設置したものです。八鬼山の稜線が、石碑とよく似ていると思うのですが?気のせいかなぁ、、、、
この「灰がま」は、作られてから100年以上たっているそうです。
農家では、この「灰がま」でごみや草などを燃やし、できた灰は、畑の肥料などに利用していたようです。
灰がまを興味深く見学する子供たち。
最近までこんな「灰がま」もありましたが、今は取り壊されてもう無くなりました。
この石垣は、屋敷を取り巻いた境界に作られ、矢浜ではよく見られます。
この石垣は、全国版の「旅写真集」に取り上げられました。
古道は、これからやや真っ直ぐ八鬼山の方に向かってありましたが、昭和38年に工場立地で無くなりました。
by yahamatamotu2525
| 2010-07-18 14:41
| 熊野古道